2010/01/17

福岡寛之

福岡です。
今日は、東京からブログをアップしています。
現在、愛知県での展覧会「あいちアートの森」http://aichiartnomori.com/calendarに出品しており、Gifu ART CAMPに気持ちを切り替えるためにもショートトリップが必要と判断。友人の個展も多数あったので東京にやってきました。
今週末は、ギャラリーの年初めということで、オープニングパーティーも多数あり多くの作家と話す機会がありました、もちろん話の中心は現代美術の状況みたいな事になるのですが。
その中でも、僕が今回少し気になった事はアーティストとお金(資本)と言った話でした。「アートは資本社会、あるいは実益社会にとって実益的に無用のものであるべき。しかし、アーティストも人間なのでお金は必要、作品を作る上でもお金は絶対に必要になる。もっと美術がお金の得られるような社会になるべきだ」と言った主張から結構長く話し込んでいました。
この問題は結構手強い、上記の中の「美術は無用のもの」と言う事を、僕は「美術は何ものにも縛られず自由であるべきだ」という意味にとらえていてこれは絶対にその通り。
しかし、なんのエネルギーも生まない作品がお金ねを生む事もないと思う。
資本主義社会の中で、美術、芸術、アーティストだけを特別扱いする事は、それこそ芸術の意味をなくすものだと思う。
と、いった事を話しながらも、僕はこの話をする中でアーティストが資本に縛られている事が気になっていた、現代社会の中でただの道具だったはずのお金はくつがえす事の出来ない前提になっていて、まるで宗教が社会の中心だった頃の神様のようになっている、現代のお金の事を考えるとほんとに多くの意味で神と共通点を持っているような気がする。
しかし、アートはその前提からさえも自由でなければならないと僕は思う。
だけど、仙人みたいになったり、政治家みたいになったりする事がいいとは思わない。
難し問題、ここは一つお金てものをちゃんと話さなきゃと思いつつもam7:00飲み屋にて時間切れ。

そして、この企画Gifu ART CAMPは、商業施設という資本主義あるいはお金というもののまさしくシンボルというか現場。僕は今回の商業施設の中で滞在制作というチャンスに、そんな事を考えてみたくなりました。お金というものの本質を見極めつつアーティストとしてどんな未来を望むのか、気合いがいる仕事です。

と、書き終えてから、いきなり話のレベルを上げすぎて自分の手に負えるか、不安になっていたりして。



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